経営者人事対談 > インタビュー記事一覧 > Vol.048 テラモーターズ株式会社(徳重徹氏)

メガベンチャーとして前例を作るのが役割 テラモーターズ株式会社(徳重徹氏)

電動バイクのベンチャー企業であるテラモーターズ株式会社。設立から2年で年間販売台数約3000台と国内最大手の座についた同社 代表取締役 徳重 徹 氏に、ご自身のご経歴や同社の人材へのこだわりについてお話を伺いました。

全てを捨てるほどの覚悟でシリコンバレーへ

樋口:
徳重社長が大学を卒業後就職された会社は一流企業ですよね。そこから今のようなご経歴に進まれた背景には何があるのでしょうか。もともと起業を目指していらっしゃったのですか?

徳重:
私自身は最初からアントレプレナーや起業に非常に高い関心がありました。初めて意識したのは大学受験の時です。1回浪人しているんですが、勉強をやってもなかなか成績が上がらなかった時に、方法論や精神論の本を好んで読んでいました。その中によく出てきたのが稲盛和夫さんだとか、早川徳次さんとか松下幸之助さんのようなアントレプレナーだったのです。うまくいっていたのに火事で工場が全部燃えたとか、うまくいっていたのに財閥解体で全部ゼロになってしまった。それでもまた始める。こういった話を若い時に読んでいて、とにかくやり続ける、諦めずにやる、というのが意識の中にかなり入っているのです。
一方で私の父は私が小さいころから一流大学、一流企業志向でした。後でわかったことですが、私の祖父がアントレプレナーだったのですが、時代の変わりの煽りを食い、当時子供だった父は大変な苦労をしたようでした。だから、起業は絶対にダメだ、という考え方になったようです。

徳重社長とは正反対の考えをお持ちだったのですね。

父の考えと自分の志向が相反していたので、自分の中ではすごく葛藤がありました。
ただ、就職の時も出身の地である山口県に将来戻って来られることが条件だ、と言われていたので、住友海上を選択しました。たまたま入社後に配属された部署はプロフェッショナル意識を持てる厳しい部署でしたので、自分の中にモヤモヤを抱えながらも、プライドを持ちながら仕事をすることができたのです。
けれども、3年4年とやった時に金融自由化の波が来て、仕事の環境が変わり、それをきっかけに自分のこれからを考えるようになりました。大企業に入ったからには役員になる道も考えていました。しかし会社に染まって生きるのは自分の目指しているものではないように感じたのです。
しかし、親の考え方は正反対ですから、今の道を外れるには全てを捨てるほどの覚悟で超ハイリスクなプロセスを踏まなければなりません。ですから1年考えました。いろいろ悩んだ末、最後は思い切ってこちらの道を選んだわけです。事前に親に相談したら当然大説得にかかるでしょうし、人事部にも電話するくらいの勢いの父でしたから、「辞めました」と言いに行ったんですよ。今でも覚えているのですが、報告した時は、いつもはいろいろ言ってくる父が震えて声が出ない、母は泣いているという状態でした。

事後報告をしたわけですね(笑)。

こんな状況ですから、チャレンジすることに対して全く後押しがありませんでした。ですから、本当に伸るか反るか、全てを捨てていくくらいの覚悟が必要でした。逆にそれがエネルギーになっていた部分もありましたけどね。

そこまでの行動を後押ししたものは本当に先ほどおっしゃっていた本だけなのでしょうか?

やはり明治時代を作ってきた起業家に一番影響を受けていますね。あと盛田昭夫さんがすごく好きで、目指しています。私のフェイスブックのカバー写真は盛田さんのものなんですよ(笑)。

少しお話が飛んでしまいますが、シリコンバレーには何年いらっしゃったんでしたっけ?

5年です。会社を辞めてベンチャー企業を立ち上げることは決めていたのですが、全て捨てるほどの覚悟をしたわけですから、とにかく夢だったシリコンバレーに行きたかったんです。 しかし実際には、MBAを受けたものの志望した学校はことごとく落ち、結局のところアリゾナの学校へ行きました。ただ、どうしてもシリコンバレーに行きたかったため、周りにも言っていたら、日本でインキュベーションをやっていた企業のシリコンバレーにある子会社が撤退すると耳にしたのです。当時日本の親会社の支援を受けてシリコンバレーに進出した子会社が、ITバブルの崩壊で親会社からの支援が受けられなくなり、撤退するというケース多くあったのです。 もともと私のやりたいことにも近かったので、日本の社長に「給料はいらないので箱だけ貸してほしい」とお願いし、やらせてもらうことになりました。しかし、売り上げがないから給料がないわけです。そこで日本から起業家が一人でシリコンバレーで会社を立ち上げるケースや、日本のベンチャー企業がシリコンバレーに販路を拡大するケース、シリコンバレーのベンチャー企業がアジアに進出するケースなど、ハンズオンでやっていました。コンサルティングと言えば聞こえはいいですが、営業のアクションまで張り付いて社員や役員のような感じでしたね。