経営者人事対談 > インタビュー記事一覧 > Vol.006 ライフネット生命保険(出口 治明 氏)

ライフネット生命保険(出口 治明 氏)

日本初のベンチャー生命保険会社であるライフネット生命。「原価開示」「保険料半額」「他社比較OK」「約款公開」など、これまでのどの生命保険会社とも異なるサービスを提供しているライフネット生命の出口社長に人材マネジメントに対する考え方について伺いました。

樋口:
出口社長の著書「直球勝負の会社」を拝読しました。その中に「長所を伸ばして短所を直すという考え方はありえない、そのように考える人はトレードオフというものが理解できていない」というお話がありました。ちょうど私も興味があるところなので、詳しくお話いただけますでしょうか。

出口:
自分が会社員だった時にも言われたのですが、上司や先輩は「あなたの長所はこういうところで、短所はこういうところだ。だから長所をどんどん伸ばして、短所を直しなさい。」とよく言うものです。しかし、よく突き詰めて考えてみると、長所や短所というのはその人の尖っている部分で、個性であるといえます。
例えば、自分の意見をはっきり言うということは、長所と見る人もいますが、「彼は協調性がない」と短所として捉えられてしまうこともあります。つまり、尖った部分を長所と捉えるか、短所と捉えるかというのは、人によって異なるわけです。始めから丸い人はおらず、みんな三角形や四角形のように尖った部分を有しているものです。しかし、社会に出ると、「短所を直せ」と周りから言われますので、みんな自分の尖っている部分を削ってできるだけ丸い形に近づけようとします。
しかし、長所と短所は同じ尖った部分であり、長所を伸ばすということと短所を直すということはトレードオフの関係にあるのです。その尖ったところを削ると丸くはなりますが、今度は面積が小さくなってしまいます。例えば、私が会社員だったときに、「先輩はみんな立派な人ばかりだなぁ」と思っていました。
ところが数年たつと、尖ったところが削れて丸くなることで、毒がなくなって、物わかりがよくなってしまったのです。それはつまり、短所がなくなると同時に長所であった部分も少なくなってしまったということです。それでは結局良くないと思いました。長所を伸ばして短所を直すということがありえないというのはこのような理由からです。
そのため、当社の社員には「小さい丸より大きい三角形、小さい丸より大きい四角形」と言うようにしています。

尖った部分は削るより大切にした方が良いということですね。

そうです。三角形や四角形の人ばかりだと、経営者としてマネジメントは難しいと考える人もいらっしゃるかも知れません。しかし、戦国時代の石垣にあてはめて考えれば面白いと思うのです。
今は機械も進歩していますから、大抵四角形に加工した石で石垣を作りますよね。一方、戦国時代にはそのような機械もないので、石垣は大きさや形が様々な石を組み合わせて作られています。
また、コンクリートのような道具も何もないので大きい石の間には小さい石を入れるなど、自然の形を生かして石垣を組んでいます。それにも関わらず、現代の石垣と比べてものすごく頑丈です。組織もそれと同じことです。仕事は1人でするものではなく、チームでするものですから、三角形でも四角形でも尖っていても、それらを組み合わせることによって強い石垣が作れればそれでよいのです。
それをみんな丸くしてしまったり、規格品のように同じ形にしてしまったりすると面白くないのです。

何かそのように考えるきっかけがおありだったのでしょうか。

きっかけの一つは先ほどお話しした先輩社員の話です。もう一つのきっかけとして、陸上競技をしていた時の経験があります。私は昔陸上をやっていたのですが、高校2年生のときが一番速く、それ以降はいくら練習しても速くなりませんでした。逆に20歳になると100メートル走っても1秒ぐらい遅くなってしまうのです。世間では体は17歳~18歳がピークでも頭は経験を積んで賢くなるという考え方が一般的です。しかし、よく考えてみると、頭も体の一部です。体が硬くなって頭だけが賢くなるというのはおかしい、人間というのは20歳を過ぎるとそう変わらなくなってしまうのではないかと考えたのです。そうだとすると、その人自身を無理に変えようとするよりも、その人の素材をそのまま活かし、特徴を組み合わせることによって仕事をしていくほうがはるかに有意義なのではないだろうかとぼんやりと考えるようになりました。

社長自身は、会社員時代から既にそのように考えて行動されていたのでしょうか?

そうですね。大きな組織の中にいると、不思議なことに人材配置を検討する際に、「この人が欲しい」と指名する人が結構いるのです。例えば、私が部長になったと仮定します。そうすると、人事に「以前一緒に仕事をしたAさんが欲しい」と言うのです。一度一緒に働いたことのある人は能力が分かっているし、使い勝手もいいから安心という理由からでしょう。しかし、私が疑問に感じたのは、会社員になる時に上司を選べないのに、部下を選んでもいいというのはおかしいのではないかということです。上司というのは与えられた人を組み合わせて成果を上げるのが仕事なのではないかと考えていたからです。そのため、私自身は「こういう能力の人が欲しい」と言ったことはありますが、固有名詞で「A君を欲しい」と言ったことは1度もありません。あるいは、「出来の悪いB君を違う部署に出す」と言ったことも1度もありません。以前所属していた会社では、基本的に2~3年ごとにジョブローテーションがありましたので、異動構想は部署の中で特に強い希望を持つ人がいない限りは期間の長い人から優先的に希望を聞いて書いていました。

部下を指導される際にはどのようにされていたのでしょうか。

もちろん営業を担当していた時代は、気になることがあった時には仕事の仕方についてアドバイスしたことはあります。ただし、基本的にはその人の癖は直すよりも組み合わせて使う方がよいし、そうすることが自分の役割だと考えていましたので、その考えに沿って行動していました。例えば、ある人がある一つのグループを評価して、「あそこのグループ長はこういうところが欠けているから、もう少し厳しく注意してください」という局面はよくあるものです。もちろん注意はします。ただし、人それぞれに癖があり、注意したからと言って全員が「上司はこうあるべき」という理想像のとおりに行動できるようになるわけではありません。そのため、「グループ長なのだから責任を自覚しろ」と厳しく叱ることももちろん大事ですが、それよりも、そのような性格の人がいてもグループ全体で困らないように気を配る方がより生産的だと思うのです。できないからと言ってそのグループ長を1年間毎日叱っていてもお互い気まずくなってしまうだけです。ですから、私はそのグループ長とその下にいるスタッフの特徴を見て、ではどういう仕組みにすればそのグループ長の欠点がよりグループとして補えるかということを考えるようにしていました。私はそう考えることこそが経営であり、上司の責任であると思います。会社というのは、例えば、利益を上げたり、生産性を上げるなど、ある一定の目的のために動いているチームです。そうであれば、そのチーム全体でどういう仕事の仕方をしたら最もミスが少なくなるか、最も効率よくなるかを考えた方が、個人の短所を矯正するよりもチームとしてうまく機能するようになると考えています。