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サントリーサンゴリアス(清宮 克幸 氏)

早稲田大学ラグビー蹴球部監督を経て、現在はトップリーグサントリーサンゴリアスの監督を務める清宮克幸氏。監督として成果を残し続ける清宮氏の人材に対するこだわりを伺いました。

樋口:
以前、会社員としてお仕事なさっていましたよね。「清宮さんは営業担当としても能力が高い」と伺っていますが、会社員時代にも監督の仕事のような人のマネジメントのご経験はあったのでしょうか。

清宮:
ほとんどないです。基本的には前線で仕事をしていましたが、最後の3年間ぐらいは本部担当という立場を経験しました。本部担当というのは全国チェーン店の商談を取りまとめ、全国にある支店の営業担当に指令を出す役割です。全国の営業担当が部下にあたるというわけではないのですが、自分の商談の結果が全国の営業担当たちの営業成績、数字の元になるという経験はありました。

営業の仕事は清宮さんにとって楽しめる仕事だったのでしょうか。

毎日目標数字と向き合う終わりのない仕事だったので、楽しいという感覚ではありませんでした。しかし、大変だと感じたことはありませんでした。

それは目標数字が達成できるから大変だと感じなかったということでしょうか。

目標が実際に達成できたかどうかではなく、結果に対してこだわりは持つけれど、終わったこと、自分の手を離れたことに対しては割り切って考えるという自分の考え方が影響しているのだと思います。私は自分が取り組むことに対してはベストを尽くします。しかし、ベストを尽くした後にどういう結果になるかは、思案したからといって変えられるわけではありません。そのような自分の力が関与しないところにはさほど固執しないのです。今の監督業も同じで、試合までは準備を一生懸命におこないますが、試合の前日に選手にユニフォームを渡した時点で試合結果の命運は私の手を離れます。そのため、試合の前日に「緊張して寝られない」という経験はほとんどありません。もちろん、不安が頭をよぎることもあります。しかし、「考えても何も変わらない。自分の仕事はやり切った。」と考えています。

現役選手の頃からそのように考えられていたのでしょうか。

このように考えるようになったのは監督になってからです。自分自身でプレーしていた頃は、試合の途中に自分で考えて行動することで結果を変えることができましたから。

それでは自分の力が影響を及ぼさない部分に関して固執しない考え方は監督になった時から自然に身に付いたのでしょうか。

自然にそのように考えるようになっていました。「済んだ結果については割り切って考えよう」と意識もしていましたし、元々そのように考える性格でもあったので自然とそうなったのだと思います。

清宮さんが試合中に選手に対して檄を飛ばしているのは何度か拝見したのですが、そのことも試合が終わると割り切って考えるようになるということでしょうか。

試合中はもちろん熱くなりますので檄も飛ばします。ただし、自分のエネルギーを次へ向かわせようと考えているので、試合後に怒っていたことを忘れてしまうというのはしょっちゅうです。例えば、選手に「辞めてしまえ!」とひどく怒ったことを次の日に忘れていたことがあります。その時は次の日にその選手の元気がなく、「元気ないな。どうしたんだ。」と声をかけたところ、「昨日、清宮さんにきつく言われたので…。」と言われて前日に怒ったことを思い出しました(笑)

清宮さんが感じている監督業の面白さというのはどのような点なのでしょうか。

例えば、料理をするときに目の前にある素材を使って、一番おいしそうに見えて実際食べてもおいしいものに仕上げていく楽しさに似ていると思います。私の場合は下馬評が低いとなおさら燃えますね。

私どもの会社は採用をサービスとしてお客様にご提供しているので、清宮さんのおっしゃる「素材」を集めるということが仕事です。ラグビーで活躍する人材と企業で活躍する人材では注目する観点が異なるのかも知れませんが、清宮さんの素材に対するこだわりをぜひお伺いしたいです。

私はその人の根本となる部分が最も重要だと思っています。表面的な部分は色々な経験を経て変えていくことができますが、根本的な部分はなかなか変えられないですからね。ラグビーで言うと、根本の性質として「逃げない」ということが必要です。

「逃げない」ということは具体的にどのようなことなのでしょうか。困難から逃げないということでしょうか。

追い詰められた時に体を張ることができるということです。最後まで体を張るというのは方法を教えたからできるようになるという問題ではありません。そのため、これという人材を見つけたら、チャンスをたくさん与えて特別扱いします。ラグビーでは体を張れるか張れないかが重要です。理性がコントロール出来ている間は、ある程度体を張った逃げないプレーをすることはできます。しかし、プレー中には本能的に体が動く瞬間もあるので、本能的に逃げてしまう、もしくは顔を背けてしまうという性質は選手として致命的といえます。

「逃げない」というのは先天的なものなのでしょうか。後天的なものなのでしょうか。

先天に近いと思います。4、5歳の何も教わっていない子どもたちがラグビーをした場合でも、積極的にぶつかっていける子どもといけない子どもがでてきます。その頃からぶつかっていける子どもは、おそらく10年経ってもぶつかっていくでしょう。特に様々な選択肢の中からラグビーを選ぶ人には、そういうことが好きな人たちが比較的多くいます。

「逃げない」ということはラグビーの中だけで通じる話なのでしょうか。

ラグビーで「逃げない」人の場合、ラグビーに限らず他のフィールドに身を置いた時も多分同じように「逃げない」のだと思います。もちろん成功するには「逃げない」だけではなく、「器用か不器用か」等他の要素も必要ではあります。ただし、ラグビー以外の場面でも「逃げない」ことが求められるのは同じではないでしょうか。