経営者人事対談 > インタビュー記事一覧 > Vol.059 日本ヒューレット・パッカード株式会社(有賀 誠 氏)

人事施策に活きる、企業のカルチャー 日本ヒューレット・パッカード株式会社(有賀 誠 氏)

世界有数のIT企業であり、また人事領域においても"HP way"という革新的な企業理念を掲げ、世界中の企業に影響を与えたヒューレット・パッカード。
同社取締役執行役員 人事統括本部長 有賀 誠 氏に、日本法人における理念の浸透や企業文化について伺いました。

単なる標語ではない“HP way”

樋口:
 まず、これまでどのようなキャリアをご経験されたか、伺ってもよろしいでしょうか。

有賀:
 これまで鉄鋼、自動車、ファッション、ITという四つの業界を経験してきました。
 まず鉄鋼メーカーである日本鋼管株式会社(現JFEスチール)に16年おり、主に担当していたのは生産管理です。このうち1987年から1993年迄の6年間はアメリカに駐在と留学をしています。アメリカのビジネススクールから戻ってしばらくは、日本鋼管株式会社に戻り、経営企画を行う鉄鋼統括部企画室に在籍していました。
 アメリカで仕事をする中で、日本とアメリカで最も異なるのは人や組織に対する考え方で、これこそグローバルのマネジメントの一つの鍵になるのだろうと考え、留学先のビジネススクールでは人事・組織論・リーダーシップ・労使関係などを学びました。
 鉄鋼統括部企画室でも非常に重要な仕事を任せて頂いたのですが、留学を経て学んだことを実務に活かしてみたい、コンピテンシーやパフォーマンスをベースに制度を設計する人事の仕事がしたいと思い、日本的でない人事を行う会社への転職を決意しました。そこで入社したのがゼネラルモーターズで、私にとっては初めての人事の仕事でした。人事のマネージャとして入社をし、部品部門であったデルファイの分社独立を遂行、日本法人を立ち上げ、アジア・パシフィック人事本部長と日本デルファイ取締役副社長を兼務しました。その後、ダイムラークライスラー傘下の三菱自動車にて、常務執行役員人事本部長を務めましたが、資本関係の解消を機に三菱自動車の人事制度が年功序列型に戻ることになったことがきっかけで自動車会社を離れました。
 その後ファッション業界に飛び込みました。まずユニクロに入社し、柳井さんの下で生産管理とR&D担当の執行役員を務めました。全く異なる業界ながら、柳井さんという経営者に惹かれ、学べそうだと考えたのです。ユニクロ退社後はエディー・バウアー・ジャパンの社長も経験しましたが、自分が貢献出来るのはやはり人や組織のところだなと思い、人事の世界に戻ろうと考えました。そしてファッション業界から転進し、日本IBMに2年在籍、2010年より日本ヒューレット・パッカードに入社し、今6年目になります。

 興味深いキャリアですね。なぜ最終的に日本ヒューレット・パッカードに入社されたのですか。

 これまで生産管理からスタートし経営企画や営業、ファイナンス、人事など、様々なキャリアを経験してきましたが、ビジネススクールでヒューレット・パッカードのケーススタディを勉強したのが直接のきっかけです。この会社には創業者が唱えた理念や価値観である“HP way”が強固にあり、それを実現するためにすべてが展開されている、という事例でした。それが紆余曲折を経て、今現在どうなっているのか中に入って見てみたいと思っていました。実は、エディ・バウアーの後にも日本ヒューレット・パッカードの選考を受けており、二回目のチャレンジで入社しています。  その“HP way”ですが、入社後非常に印象に残った出来事がありました。
 入社直後、アジア・パシフックの人事リーダー・ミーティングで自己紹介をした際、入社の理由として“HP Way”の存在を挙げました。ところが、皆に「“HP Way”なんて今どこにある」と、失笑で迎えられたのです。正直残念に感じました。
 しかし、人事部門の戦略を議論する3日間のミーティングで話し合われた内容は、そのほとんどが社員の成長や組織の活性化についてのものでした。そして、最終日に参加者の一人がつぶやいたことは、『一昨日お前が“HP Way”と言った時には笑ってしまったが、結局自分たちが3日間話し合った内容はまさに“HP Way”だったね』というものでした。これは素晴らしいことだなと思いました。“HP way”とは壁に飾ってあるポスターや標語のようなものではなくて、社員の血の中に刷り込まれていて何かあった時にふわっと匂い立つようなものなのですね。

 そうなのですね。弊社が毎年実施している米国視察ツアーでも、シリコンバレーの十数社の視察先のうち、ヒューレット・パッカードが一番良かったという声が多いですね。

 特に経営をなさっている方だと共感されるかもしれません。
 人やコミュニケーションを大切にすることが創業者によって提言され、それが70何年もたった今でも生きているのはなぜかと考えたときに、それは創業者が二人だったからではないかと思うのです。
 創業者が二人という企業は他にもありますが、その関係性はほぼ例外なく大将と参謀であったり、エンジニアと経理であったりします。ところがビル・ヒューレットとデビット・パッカードは二人ともエンジニアであり、そして、二人とも経営リーダーでした。意見が合わなかった時もあったとは思いますが、二人で相談し、合意を経て会社の方向や戦略を決めてきたのが当社の歴史です。だからこそ、人やコミュニケーション、チーム・ワークなどを大切にする会社になったのではないでしょうか。私が知る限りこのような会社はほかにありません。