代表取締役社長 福原 正大氏に、ITやAIの浸透が予想される将来の働き方や、その中でのリーダーシップについてお話を伺いました。
大学・企業のブランドではなく、自らに「自信を持つ」ことが重要
樋口:
まずは福原さんご自身のルーツについてお聞かせ願えますか。
福原:
幼少期から少年期にかけては、よくいじめられ、ずっと泣き続けているような子供でした。幼稚園は私にとって地獄でしかなく、そもそも休みがちでしたし、小学校に入学してからもいじめが続き、先生からも落ち着きがないと評される等散々でした。最も辛かったのが中学時代で、身長が140cm強しかなかった私は185cmもある主犯格に目をつけられ、いじめの標的になっていました。運動神経は良かったので一対一で何かされることはありませんでしたが、集団で囲まれることは少なからずありましたね。
そのため、中学校までの明るい記憶は本当に数えるほどしかありません。しかし、昔から成績は良く公立の高校には行きたくなかったため、受験を経て慶應義塾高等学校に入学しました。入学後は天国でしたね、近いタイプが揃っていて、皆優しい。いじめなんてありません。そこから、少しずつ興味の幅が広がってきました。
こうした幼少期があるので、私は誰かを支配したいと思ったことがありません。チームメンバーにも、「敢えていいところをあげるなら、全員を平等に扱うところだ」とよく言われます。これは、家庭環境の影響もあったのかもしません。社長で母よりずいぶん高齢だった父は非常にワンマンなタイプで、母はそれを快く思っておらず、母は「人は平等で職業によって差が生じるものではない」ということをよく私に話してくれていました。
まさに幼少期で私のリーダーシップ像は決まったのかなと思いますね。
プライベートな部分まで、ありがとうございます。
今につながる関心・興味というのは高校・大学のころに芽生えたものだったのですか。
ひとつのきっかけになったのは、高校時代のころ父からよく言われていた「世の中には優秀な人がいくらでもいるから学生のうちは彼らとどう差別化するかにフォーカスしろ」ということです。例えば英語。当時から得意な方ではあったのですが、帰国子女が多い慶應義塾高等学校では彼らに勝てません。子供のころから得意だった数学も同様で、上には上がいます。そのため、フランス語を掛け合わせてみよう、と考えていました。
また、15歳のタイミングで友達とニューヨーク旅行に行ったこともきっかけになっていますね。ウォール街に行って、そこで“Bank of Tokyo”というきれいな建物の日本企業を知ったのです。東京銀行(現:三菱東京UFJ銀行)はフランスに支店があり、前述の掛け合わせを生かせそうだということもあり、このころには東京銀行で働くことを決めていました。
大学入学後は、慶應義塾大学のブランドもあり楽しい学生生活を過ごしていましたが、在学中の父の死が契機となって、様々なことに現実感を持つようになりました。東京銀行に入社するためにどうすればよいか、優秀な人ばかりの世界で自分はどのように戦うか、などです。こうした背景があり、3,4年はとにかく勉強しようと決め、経済学部で一番厳しいと言われる簑谷先生(簑谷 千凰彦 氏・慶應義塾大学経済学部教授)の計量経済学のゼミに入りました。そこで計量経済・統計学の基礎を徹底的に学んでいく中で、少しずつ「AIを用いることで、全てを数字的に解析できるのではないか」という感覚を持ち始めました。
この時の勉強は本当に効いています。いまだに私が「大学では勉強すべきだ」と大学生に言い続けているのは、この2年間の学びの差が今にも生きていると思えてしかたがないからです。大きな自信になっていますね。
コンプレックスを感じるところがありながら、大学や企業のブランドにぶら下がるというよりは、自分を武装し、自信をつけるという生き方をなさってきたのですね。
仰る通りだと思います。昔は本当に自信がなかったんですよ。子供の頃受けていたいじめは自分ではコントロールできません。日々恐怖を味わっていました。それから、高校・大学・銀行時代・留学を通じ、少しずつ自信を持っては失うという経験を繰り返してきました。
最終的に自分に自信をもてるようになったのは、バークレーズ・グローバル・インベスターズ株式会社の入社以降ですね。当時の上司が私に目をかけてくれて、結果を出せるようになったためです。それまではずっと自信を持てないままでした。