経営者人事対談 > インタビュー記事一覧 > Vol.046 特定非営利活動(NPO)法人 フローレンス(駒崎弘樹氏)

優秀さは組織にとってもろ刃の剣 特定非営利活動(NPO)法人 フローレンス(駒崎弘樹氏)

病児保育・病後児保育をおこなう特定非営利活動(NPO)法人 フローレンス。2012年Great Place to Work(働きがいのある会社ランキング)において、従業員250名未満の部で8位、NPO法人では初めて受賞した同社 代表理事 駒崎弘樹 氏にご自身のご経験や組織に対するお考えを伺いました。

ITベンチャーは挫折経験

樋口:
個人的に駒崎さんの生い立ちにとても興味があるのですが、どのような家庭環境で育ってこられたのでしょうか。

駒崎:
特に何か華々しいDNAを持っているわけではなく、生まれも育ちも東京の下町、団地で生まれ育ったので、特別な英才教育を受けたわけでもありません。ただ、母が働く姿を間近で見てきてその姿がはっきりと刻み込まれていますから、それが何よりの教育だったかなという気はします。

例えば、何となく自分はサラリーマンになるのかなと考える時期が、高校生ぐらいであると思いますが、駒崎さんが中学、高校生の時、大人になったら何になるかイメージしていましたか。

中高の時期に、社会的にインパクトのある出来事が立て続けに起きたんですよね。阪神・淡路大震災やオウムの地下鉄サリン事件、あとは山一證券の破綻などです。ある種日本がどんどん悪い方向に向かっているというか、きしみ始めているときに中高時代を過ごしたわけです。ですので、このまま良い大学に行って、大企業に入社したからって幸せになれるわけないよな、とおぼろげながらには感じていました。

そのような時代背景のなか、例えば学校の仲間内でも保守的な人もいたでしょうし、駒崎さんみたいに、そんなわけないよなと考える人もいたと思います。駒崎さんの周囲では、駒崎さんのような考え方を持って行動に移そうとしている人は多かったのでしょうか。

校外のネットワークがそれほどあったわけではないので、自分の学校の中だけの話になってしまいますが、それほど多くはなかったと記憶しています。というのも、私がちょっと引いた視線で見ることができたのは、高校時代にアメリカに1年間留学していたためかなと思っています。休学して留学したので、日本に戻ってきて1つ下の世代の人たちと卒業しているんです。なので、そこで1回レールから外れているというのが大きいと思います。
離れたところから日本を見るという経験は当時の私にとってとても貴重でした。それまで日本というのはすごく圧倒的な存在だと思っていたのですが、アメリカから日本を見ると、かつては輝きを持って語られていた日本がアメリカの片田舎の地元新聞なんかでもおかしな国として揶揄されている記事を目の当たりにしたり、歴史観や価値観の違いをみるにつけ、いつの間にか日本というものと自分というアイデンティティーが重なって、「日本人としての自分」をすごく意識するようになりました。そういうきっかけがあって、日本社会というものに対して当事者意識を持つようになったのです。

それは影響が大きそうですね。

とても大きかったです。日本人である自分からは逃れられないなという思いを強く持ちました。つまり、心の奥底の根本となる部分が、すでに日本によって形作られているんだと痛感したんです。でも、日本人であることから逃げられないと思うと同時に、それ自体、決して悪いことではないとも思いました。自分の大切な部分は日本によって形作られたし、日本のおかげで培われてきたのだから、むしろそういう日本を大切にしたいと思うようになったのです。外に出て日本のよさを痛感し、あるいは日本人としてのアイデンティティーに目覚めたというのは、ありがちですけれども貴重なターニングポイントになりました。

その後、大学時代にIT企業の社長をされていたんですね。

大学3年生の時に、年下のメンバーから社長になりませんかと誘われたんです。彼らは技術者で、私は学外の人たちと一緒に何かをしたりと活動的だったので、何かこの人は向いていそうだと勘違いをして声を掛けてくれたんです。
実際にやってみると、学生の存在でありながらも、1枚の名刺を持ったからには大人の方々と対等にやらなければいけなかったので、はじめての経験ばかりで大変ではありましたが非常に勉強になりました。

今のお話を聞いていると、駒崎さんは何かやりたいことを常に探している感じがするのですが。

そうですね。何かやりたいことがあったり、飛び込んだりと。そういう意味では楽しい人生を送れているかなと思います。

フローレンスもやはりその延長線上にあったのですか。

延長線上ではないですね。実はITベンチャーをやってみて、基本的には挫折したと思っているんです。別にビジネス的にはうまくいかなかったわけではないですけれども、やりがいを感じられなかったからです。